ぶっちゃけハッキリとした日付は覚えていないのだけれど、たしか離婚届を提出したのが11月13日あたりだった気がするので、離婚をしてから3か月経ったというのは、概ね正しいと思う。

実際に東京へ引っ越してきたのは確か11月26日の夜だったかな、、、

荷物が翌日の午前中に届くからってことで、前夜にこっちに来たんだった。

時期的には、まだ真冬の寒さではなかったけれど、 あの日は雨が降っていて、スーツケースと傘を持つわたしには、なかなかキビシイスタートだった。

ただ一つ救いだったのは、前橋を発つ日に、わたしはかーくんのお店に寄った。

そしたら予想外に、かーくんが駅まで車で送ってくれて、最後に駅前でハグしてくれた。

残念なことにキスをすることは許してくれなかったけど、あの日のハグが、わたしをどれだけ勇気づけて支えてくれたことか。。。


「もう二度と会えないかもしれない・・・」


そう思って思いっきり抱きついた、あの感触。

かーくんの匂い。


あのときの想いは忘れられない。

望んで実行に移した離婚だったけれど、心細さは山のようにあって、もちろん希望もあったけれど、不安と寂しさもあって、そんなわたしを支えてくれたのは、まぎれもなくかーくんの存在だった。


電車に乗って、わたしは泣いた。

涙がとまらなかった。

かーくんがツイッターから見守ってくれていることはわかっていたけれど、メールをすれば返事をくれることはわかっていたけれど、寂しくてつらくて不安で、だけどその中に一縷の希望があって。

あのころは、まだ道も全然わかっていなくて、真っ暗になった雨の道を、スーツケースと傘をさして歩いたあの日。


望んで離婚をして念願だった東京に帰ってきたことへのうれしさは、もちろんあった。

だけど、それ以上に心細さや不安が押し寄せてきて、自分を奮い立たせながら歩いたあの日。



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この間、近所を探索していたら、図らずも久しぶりにあの道を通った。

わたしが住んでいるところは複数の駅が使えるのだけれど、いちばんの最寄り駅は私鉄で自宅から徒歩3分。

ここに暮らし始めてからは駅を使うといったら、この私鉄の駅なのだけれど、あの日はもう少し自宅から歩くJRの駅から雨の中を歩いた。


あの日以来、あの駅を使うことがなかったので、思いもかけずあの道にぶつかったとき、わたしの心は一気にあの日にタイムトリップした。

一気にあのときの不安と心細さがよみがえってきた。


今だって毎日いろんな不安やプレッシャーは常にある。

むしろあのころよりも現実的な不安やプレッシャーは常にある。

わたしレベルの個人事業主なんて、ふっと気を抜いたらそこで終わりだ。

それはけっして想定外のことではないけれど、不安やプレッシャーは常にある。


これはあの日の不安や心細さとは、ちょっと違う。

むしろ現実味のある今の方が、よっぽど不安の度合いは大きい。


もともと浪費家の傾向があるわたしだけれど、それでもずいぶんムダ遣いは減ったし、第3のビールを飲む機会もかなり増えたし、ハーゲンダッツなんてまったく手を出さなくなった。

もちろんこれも想定内のことなので、そのことじたいで落ち込むわけではないけれど、生活基準のレベルでいったら、あきらかに離婚前の方がよかった。


だけれど、じゃあ元夫との結婚生活に何の不安もなかったか?と問われれば、答えはNOだ。

会社がどうなるかわからない不安、お給料が上がらない、ボーナスも出るだけマシだと思え・・・

そんな中、住宅ローンや車のローンを払いながら、自分を高給取りと勘違いしている元夫の言動は、もっと別の次元でわたしの中にストレスを蓄積させていった。


今ある不安やプレッシャーは、ある意味、自分の努力次第でなんとかなるけど、元夫との生活で鬱積したストレスはタチが悪い。

「俺が食わせてやってるんだ」というあの無言の圧力は、わたしにとって地獄のような苦しみだった。



報われないガマンや努力をするくらいなら、たとえ不安やプレッシャーがあっても、それらが自分に返ってくる今の方が、ずっといい。

あの(わたしにとっては)地獄のような日々があったからこそ、今がどんなに不安や恐怖に襲われても、苦しくても大変でも、今の方が努力のしがいがあるということを、自分自身が無意識のうちに感じているのだろう。



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それでも久しぶりにあの道を通ったときに、よみがえったあの感覚は、何だかキモチがブルーになり、少し気分が悪くなった。

あのときはどうしてあんなに気分が悪くなったのかわからなかったけれど、今思うと、あの雨の日の不安や心細さは漠然としたもので、原因がハッキリしないものだったからだと思う。


今の不安は原因がハッキリしている。

本当に自分は、この仕事でずっと食べていくことができるのだろうか、という不安。

毎月決まったお給料をもらう仕事とは違うから、どうしたって波がある。


いつどうなるかわからない不安。

いつ収入がゼロになるかわからない恐怖。


もちろんこれも想定内の不安とはいえ、実際にこのプレッシャーを肌で感じると、それは想像以上に大きな恐怖だ。


だけどその恐怖の原因はハッキリしている。

もちろん売れれば売れたで「突然、人気が落ちたらどうしよう」って不安になる芸能人と同じで、水ものの商売をしている以上、おそらくこの恐怖から完全に逃れられる日は来ないと思う。

それでもとりあえずいえることは、この不安やプレッシャーの原因はハッキリわかっている、ということだ。


だけどあの雨の日、不安と心細さを抱えて歩いていたあの日の想いは、もっと漠然としていて、何もかもが不安で不安で仕方なかった。

もちろん今思えば、あの不安はそれこそ日常が落ち着きさえすれば、ほとんど取り払われる不安なのだけれど、それでもあのときのキモチがよみがえると、何ともいえない気分になった。


そして「あぁ・・・あまりこの道を通りたくないな・・・」と本能的に思ってしまった。

それは今思い返すと、あのときの自分の姿があまりにも悲壮感にあふれすぎていて、思い出したくないだけなのかもしれない。

それはけっして希望に満ち溢れた前途洋々の姿とはお世辞にもいえなくて、あのときの不安と心細さは無意識のうちに自分の中に刷り込まれて、トラウマになっているのかもしれない。


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だけどだけどだけど。


こんなに不安や恐怖が常に背中合わせにあるのに、それでもわたしは離婚をしたことを後悔したことは一度もないどころか、1ミリたりとも後悔したことがない。

これはこれで自分でも驚きなのだけれど、本当にまったく離婚をしたことじたいに後悔はない。


その証拠というべきか、実際に東京で暮らし始めて2ヶ月が過ぎたころには、アトピーの跡なんてほとんどなくなって、人前に堂々と手が出せるレベルに回復した。

以前のわたしの手を知っている人は、みな一様に「手がキレイになったね!!!!!」と目を丸くする。


わたしも正常な皮膚をした自分の手を見るのは本当に久しぶりだ。

もう何年、このまともな手を見ていなかっただろう。

もう一生、まともな手には戻れないと思っていた。


でもそれと同時に、離婚してこの家を出たら、もしかしたら治るんじゃないかと本気で思っていた。

というか、最後の方は本当に「このままここにいたら、わたしは死ぬかもしれない」と思って、あの家と地元から逃げる決意をしたのだ。


日々の不安やプレッシャーでいったら、今の方が断然上だ。

というか、前橋時代はストレスは常に抱えていたけれど、不安やプレッシャーというのは、ほとんどなかった。

「安定」ということでいうのなら、前橋時代の方があきらかに安定していた。

少なくとも、こんな不安やプレッシャーを日々、感じることはなかった。


だけど元夫と結婚をしてからわたしは慢性じんましんになり、アトピーが大暴れし、身体的な面でいったら、それはもうひどいものだった。

アトピーの脱ステ、湯治のための温泉通いなど、闘病生活を余儀なくされたこともあった。

それでも完治しないどころか、わたしの身体はずっと悲鳴を上げ続けていた。


そして思ったんだ。

わたしは、ここにいたら、本当に死ぬかもしれないと。


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不安とプレッシャーという点でいったら、今の方がはるかに大きい。

そしてそれが本当の意味で消えるとしたら、それはよっぽど仕事で一定の成果を上げ続けられるようになってからだろう。

それだって必ずしも、その恐怖がゼロになることはないと思うし、それがフリーで働くということなんだろう。 


この記事で何度「恐怖」「不安」「プレッシャー」という言葉を使ったかわからないくらい、わたしの毎日はそれらと背中合わせだ。

にもかかわらず、アトピーは嘘のように良くなった。


それは今ある恐怖や不安は「いいプレッシャー」である証なのだろう。

だからこそ次々といろんなことを考え、今の自分にできることややれることを、とにかく片っ端からやっていく。

とくにこれからの時代は、どんな職種であっても、収入源が一つしかないことほど怖いものはない。

とくにわたしの場合はフリーランスなのだから、とにかく収入源を増やすべく、自分にできることを試していく。


何が当たるかなんてわからないから、とりあえずやれることはいろいろ試してやっていく。

その姿勢は、あの鬱屈したものを抱えてアトピーをこじらせていたストレスとは正反対のもので、そしてわたしは基本的に仕事が好きなのだと思う。

だからこそ恐怖や不安と背中合わせでありながらも、自分のために投資し、それらを活かしていけるよう、日々動き続けているんだと思う。


そしてそれがいつの間にか、アトピーを克服し、気づけばじんましんも出ないまでに身体の状態が回復したのだと思う。


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でもだからこそ、わたしは思う。


離婚は、けっして安易にするものではない、と。


わたしの場合は本当に命の危険を感じて逃げだしたというところがあるし、14年暮らしてみて、どうしてもこの人と一緒にいる苦痛に耐えられないと思ったし、同じ苦労をするなら努力が自分に返ってくる状況に自分の身を置こうと思ったからこその選択であって、確かにあの雨降る夜、心細さと不安を抱えながら、だけど一縷の希望を胸に秘めて、わたしはあの家も地元もすべてを捨てて逃げてきた。

そしてそんなときでさえ、わたしにはかーくんという支えがあった。


そしてこれだけ恐怖や不安と常に背中合わせの日々を過ごしていても、わたしのアトピーは良くなったし、じんましんも出なくなったし、どんなに不安になっても「やっぱり離婚しなければよかった・・・こんなに不安になるのなら、あのままガマンをしてあの家にいればよかった・・・」という後悔を本当にただの一度も、1ミクロンたりとも思ったことがないのだ。

そしてオンボロマンションとはいえ、念願かなって自分の好きな土地に住んでいる。

それはもう二度と、あの生活には戻らない、せっかく手に入れた今の状況を、どんなことをしても死守してみせる、という想いが、無意識の中に刷り込まれているのだろう。

あえてそんなことを考えることはないけれど、きっとわたしのベースは無意識のうちに、そう思い、考え、動いているのだろう。


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正直、今この時点ですら、現実から逃げ出したくなる。

不安と恐怖でいっぱいになって、今あるこの現実から逃げ出したくなる。


だけど、わたしには逃げる場所がない。

帰る場所もない。

その現実が結果として、動き続ける自分をつくりだしているのだと思う。

だってそうしなかったら、わたしは路頭に迷うのだから。

そしてそのプレッシャーこそが、結果的にわたしを強くしているのだと思う。


そしてなんだかんだいっても、わたしは今の生活が好きなんだと思う。



じゃなきゃ、とっくにしっぽ巻いて逃げてるよ(笑)




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